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アントン・ブルックナー作曲「序曲」
皆さんは、ブルックナーにどのようなイメージをお持ちでしょうか。
とにかく演奏時間が長い? そして弦楽器によるトレモロの囁き、かもしれません。
ところが今回、樹フィルハーモニー管弦楽団第2回定期演奏会で取り上げるブルックナー作曲の「序曲」の、特に冒頭部はそんなブルックナーらしさは見られず、むしろベートーヴェンの曲と感じる方がいるかもしれません。
ブルックナーは敬虔なカトリック教徒で、オルガニストとしてはかなりの経験を積んでいましたが、作曲家としては遅咲きで、本格的に作曲の勉強を始めたのは30歳を過ぎた頃でした。
余談ですが、ブルックナーは大のビール好きで人柄も良く、町の人たちからもとても愛されていたとのこと。
この「序曲」は、その頃の「習作」(勉強のために書いた曲)と言われています。
この曲は、彼の作曲家人生の始まり、まさに人生における「序曲」だと言えます。
私はこの曲に、ブルックナーの作曲活動に対する「迷い」「葛藤」「挫折」そして「光」を感じます。
どんなふうにこの曲が書き始められたか、ここからはブルックナーになったつもりで書いてみます。よろしければ少しだけ私の妄想にお付き合いください。
五線紙の美しく並ぶ紙を前に、筆が動かない。
私は、作曲家として名を残したい。尊敬するベートーヴェンを超えることはできないだろうが、少しでも近づけるような作品を、音楽を残したい。
意を決して筆を下す。書きなぐるように2小節。G音でフォルテッシモのユニゾンが轟く。
はたと筆が止まる。
「ああ、これではレオノーレ2番の冒頭ではないか・・・」
さらに2小節、今度は5度高いD音でさらに強く鳴らしてみる。
今度は尊敬するもう一人の巨人、リヒャルト・ワーグナーの影がよぎる。あの魅惑的なトリスタンコードが五感を支配する。
「だめだ・・・」インスピレーションがまったくわかない。手が止まる。うつむいて考える。自分はどこに行きたいのか。どんな音楽を作りたいのか。大きくため息を吐いた。
「やはりだめだ。自分には才能がないのではないか」
そうやってどのくらい時がたったのだろうか。
あきらめ、開き直りの気持ちが私の顔を上げさせた。
そうだ。自分は未熟なのだ。それならば尊敬する作曲家から学ばせていただけばよいのではないか?彼らの音楽を吸収し、模すことによって何かが見えてくるかもしれない。
この「序曲」は、バッハ、ベートーヴェン、ウェーバー、そしてワーグナーと、いろいろな作曲家が顔を出すように私は感じるのですが、自分の音楽がまだ見えない彼の葛藤がそうさせたのかもしれません。
そうやって迷いながら書き進めていくうちに、オルガニストである彼の、得意とする「自分の音楽」がだんだん出来上がっていったように思えます。
コーダに入る直前には、パイプオルガンを彷彿させる重厚なサウンドが鳴り、曲をクライマックスに持っていきます。
そして最後は、祈りによって一筋の光明を見いだし、それがだんだん大きく膨らみ、感動をもって締めくくられます。
ブルックナーが交響曲作曲家としてスタートラインに立ち、大家として成長していくその最初の「序曲」。
若いブルックナーの葛藤と、その末につかんだ光、そして踏み出した一歩の希望に満ちた気持ちを、オーケストラメンバーと一緒にお客様にも味わっていただければ、演奏家としてこんなにうれしいことはありません。